弱みを見せられること。

 

スポンサーリンク

 

わたしは『強がり』という仮面をかぶっています。

「大丈夫?」って聞かれても、「大丈夫じゃない」なんて絶対に言えなくて、

心は叫んでるのに、そんなツライ気持ちを、身近な彼氏であるひとに

なぜかいちばん言えなくてめちゃくちゃ強がってしまう。

わたしのことを知っている人は、わたしのことをめっちゃポジティブだと感じると思う。

だって、ネガティブな発言を一切しないから。

発想の転換だってうまい。

ネガティブでこられたらとことんポジティブで対抗して

自ら「わたしはポジティバーなんだ」なんて言ってみたり。

だけど、そこにある核はそうじゃない。

ホントはめちゃくちゃネガティブで、

その心で感じたネガティブを発言するのがしんどいからしないだけ。

そんなネガティブな思考を停止させるために

自分の心に嘘をついてポジティブな発言をしまくるのです。

だけど、自分を救うために発してるそのポジティブ発言が重なると

逆に自分の心にすごく負担をかけてしまう。

 

 

だから、弱音を吐けるということはわたしにとってすごく大事なことなんだと、

前の彼と付き合って→別れる、という過程を経て気付きました。

「『しんどい』ってちゃんと言う練習からしよ? 受け止めるから」

そんな優しい言葉をかけてくれる人もいる。

 

今日ある1冊の本を読みました。

その中に出てくるご夫婦の奥さんは29歳という若さで病気で亡くなりました。

奥さんは闘病中、一度たりとも弱音を吐きませんでした。

「つらい」「しんどい」を言わなかった。

だって、「ツライのはまわりだから」と。

人前で涙を流すことも一度もなかったそう。

本当に健気で、どうしてこれほどまでにまわりの人を気づかえる人を

天は呼び寄せてしまうんでしょうか。

こんなにいいひとだから、呼び寄せられちゃうの?

でもね、ホントにさいごのさいごに「つらい」「しんどい」「痛い」と言っていたそう。

そして、さいごに涙を二筋流したといいます。

 

わたしは思う。

わたしもこんなだった。

いや、こんな偉大な方と同じだなんて言ったらおこがましいにも程があるけれど

「ひとに迷惑をかけちゃいけない」ずっとそう思ってた。

ひとに対して何もあげられない自分だから。

大して価値のない人間だから。

せめて迷惑だけはかけまい、と。

だから、前の彼と付き合っているとき

わたしは弱音を一切吐かなかった。

ネガティブな発言を一切しなかった。

それでしかわたしは自分という存在を認めてあげられなかった。

でもね、やっぱり負の感情だって共有してなんぼだと思う。

恋人なら。夫婦なら。

 

本の中で旦那さんは言っていた。

「ツライよって泣いてくれて良かったのに」と。

奥さんは自らの信念や、旦那さんをはじめまわりの人を想って弱音を吐かなかった。

だけど。

自分もツラかったから。

一緒に、つらいね、しんどいねって泣ければ良かったと。

 

あぁ、共有すべきなんだ。

負の想いも言葉も感情も。すべて。

いけないことじゃない。

相手に負担をかけるだけの行為ではない。

そこから先に何かつながるものがあるはずだから。

我慢なんてしなくていい。

そう思った。

 

スポンサーリンク

にほんブログ村 OL日記ブログ アラサーOLへ にほんブログ村 マタニティーブログ 初産へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

トラックバック URL

http://marry.ever.jp/yowami/trackback/

PAGE TOP